『オペラ チェネレントラ』脇園彩さん「イタリアからの便り」

イタリアからの便り~脇園 彩

今年のイタリアはあまり寒くならずこのまま春を迎えるのかと油断していたところ、二月の終わりにシベリアからの強い寒気が流れこんで、全国で急激に冷え込み、雪がふりました。 とにかく想定外のことに想定外に弱いイタリア、ローマで積雪が10cmあっただけで全国の鉄道網が麻痺、雪の降った翌日は遅延平均が5、6時間、最もひどいもので、西側南端のレッジョディカラーブリアから北端トリノまでの縦断寝台列車が9時間遅れて、乗客は約24時間以上電車の中に缶詰だったとか。その後3、4日ダイヤの乱れ(いつも乱れていますがいつも以上に)が続きました。私の家があるミラノにも雪が降り、街の中心Duomoの広場などロマンティックな雰囲気を醸し出していました。

「3月1日、雪のミラノ」

さて、私はフリーランスという労働形態をとっていて、プロダクション期間中(オン)と、次のプロダクションへの準備期間(オフ)という二つの大きく異なるフェーズで生活が構成されています。今回はとても充実した準備期間を持つことが出来ました。

オペラ歌手が仕事をしていないときなにをしているか。人によりそれぞれだと思いますが、私は出来るだけ自然の近くで、心を許せる友人や大切な人と、シンプルに生きて自分を取り戻し豊かにしていく作業をします。家を綺麗にし、ゆっくり料理をして、普段会えない大切な友人と会い語り合って世界を拡げ、本を読み、瞑想をして、自分が心地よくなる運動をします。
もちろん、次に取り組む作品についての勉強を信頼出来る師とともに、あるいは1人で行う時間も持ちながら。この準備期間が短かったりあまりにせわしなかったりすると、いざ仕事モードに入ってもなかなかよいものが出てきません。
ただ残念ながら全てのリズムが速く、ファストでイージーであることをまず一番に求められる現代において、この生活リズムを保つことは容易ではありません。しかしオペラを究めれば究めるほど実感することですが、芸術は自然の中で、ゆっくりとそして丁寧に生まれたもの。とても繊細なものです。
ミラノで師事している、所謂オペラの黄金時代にメッゾソプラノとして輝かしいキャリアを築いていた86歳の恩師がいつも嘆いています。 「オペラは、高い音や大きな声が出ることを競う競技会ではなく、音や言葉の色や薫りのちょっとした違いを表現するとても繊細な芸術なのに。」と。そして、「声は人間誰しもが持っている、世界で一番美しく完璧な楽器であることを忘れてはならない。」と。
彼女と過ごしながら、まだまだ日本に比べれば時間がゆったり流れているイタリアで、自分をゆっくり見つめる時間を持ったお蔭で、最近もっと自由に歌えるようになりました。

技術の発達で世界がより近く、全てのものが容易で可能になることは素晴らしいことです。
しかし人間はあくまで自然の一部、自然に逆らって生きることは出来ませんし、全ての美しいものはいつも自然の中に見出すことが出来ます。
時にあまりに近すぎて、当たり前すぎて、そして・・・シンプルすぎて、我々があまりに速く過ぎ去ってしまうものだから見落としてしまう繊細で美しいものがあるのではないでしょうか。
例えば、完璧なバランスで日々動いてくれている私たちの身体そのものも美しい奇跡に溢れています。
シンプルに生きてみると、思いもかけないところで深い感動や人生を揺るがす出会いがあるかもしれません。アンジェリーナとラミーロ王子のように。

2016年ヴェローナでのチェネレントラ公演。
アンジェリーナとラミーロ王子出会いのシーン ©ENNEVI

アンジェリーナ(ロッシーニのシンデレラの名前)はその名前(angelo:天使)の通り純粋で、とてもシンプルな女の子です。
地位や富といったお仕着せに王子でありながら辟易しているラミーロ王子もまた、見せかけではない真実の愛を求めていて、灰かぶり姿のアンジェリーナに出くわし、その貧しい身なりには気づきもせず、ただ瞳の中になにかわからぬ甘美なものが煌めいているのを見て恋に落ちるとてもシンプルな人物です。
2人のその出会いのシーンにロッシーニは魔法のように美しい音楽をつけています。まるで2人のとてもよく似た純粋な魂が溶け合って共に鼓動をしているようです。
それは2人ともが、飾らず、見せかけの豪奢に踊らされず、人生の真実を追究してきたからなしえた奇跡。
だからこそ、私たちのこころをぎゅっと掴むのでしょう。人生は、そんな魔法のような瞬間に立ち会うためにあるのではないかと思います。
そしてそんな瞬間は実は、人生における運命の人に出会わずとも、風の中にほのかに春を感じたり、空が抜けるように青かったり、大切なひととコーヒーを飲んだり、美味しいご飯を食べたりしたときに、予期せず訪れているのかもしれません。

いま私は「恋人の街」ヴェローナで、プロダクションの稽古中です。初めてこの劇場で演じた役がこのアンジェリーナでした。シンプルに生きる彼女に想いを巡らせつつ、魂でうたう日々です。晴れる日が多くなり、肌をなでる風に切るような冷たさはもうありません。春も、もうすぐそこです。

2018年3月15日

脇園 彩

公演の詳細はこちら

top