「壮大にして密、密にして壮大」。 麿赤兒さん、東大寺 修二会を語る

5/13 特別公演「東大寺 修二会の声明」にちなみ、舞踏家で俳優の麿赤兒さんに、修二会について語っていただきました。

小学5年から高校時代までを、奈良県桜井市の三輪山のふもとで過ごした麿さん。「お水取り」という言葉には親しんでいましたが、初めて東大寺で聴聞したのは40代のときだといいます。なかにし礼さんが企画・構成・脚本を手掛けた映画「奈良幻想 春の祭典・お水取り」(1989年)への出演がきっかけでした。


■初めて見た修二会の印象

ただもう圧倒されて見ていましたよ。格子の外で、ありがたいようなお香の匂いに包まれて、鼻の中は煤で真っ黒けになってね。火の粉が心配でね、大丈夫かな、火事になるんじゃねえかなと思いながら。かなり大胆な儀式ですよね。
声というものが大事なんだなあと。音魂(おとだま)というかね。人数は決して多くないのに凝縮された強さがあって、お経というよりオペラのように聴こえることがある。意味は全然わかりませんよ。でもその秘儀的な感じが好きですね。


■修二会の起源、踊りの起源

修二会が始まった当時も天然痘がはやって、相当な数の人が亡くなったそうですね。だから疫病退散を祈って、お坊さんたちはそれはもう、切羽詰まってやっていらっしゃる。身体をああやって打ち付けて、我々衆生を救うために、すべての人の苦悩を背負って。代受苦(だいじゅく)というんですかね。

声を出したり、走ったり、倒れこんだり、そういったパフォーマンスと祈りが結びつくということにはかなり共感しますし、僕らの舞踏にも通底するものです。実際、踊りの起源には生贄という行為があって、そこから体を生贄にするという意味で、踊りに転換していった。身体をある種の犠牲体とする。身体そのものが供物である、ということかな。
僕らも平和への願いをこめて、人類、生きとし生けるもののために踊っている——と言ったら少し大げさだけど。秘めたる気持ちとしては、そのくらいの思いを持っていないとやれない。

大駱駝艦・天賦典式「パラダイス」  撮影:川島浩之


■お水取りが終われば春が来る

僕の育った三輪(奈良県桜井市)は、奈良市内からは少し離れている。それでも「お水取りが終わると春になる」という、一つの合言葉みたいなものがありました。寒い時期になると「いや、お水取りがきたら温かくなるから」って。だいたい春先にやるんだから春が来るのは当たり前だろうと思うんだけど、儀式が先で、季節が後からついてくるという錯覚を覚えてしまう。そのくらい、生活に溶け込んでいましたね。


■壮大にして密、密にして壮大

世界観が大きいですよね。自分が悟りを開ければそれでいいということではない。
平和を求める気持ちも、天変地異を退け、悪を退散させたいという思いも、人間の欲望です。そうしたすべてを取り込み、抱え込んでいく。ものすごい広がりがある。みんなの祈りを背負っている、だからこそ気合が入るんですね。

壮大にして密、密にして壮大。今回のフェスティバルホール公演で、それを垣間見られるのは楽しみですね。

大駱駝艦・天賦典式創立50周年公演「はじまり」 撮影:川島浩之


麿 赤兒 Akaji Maro

大駱駝艦主宰・舞踏家・俳優。
1943年生まれ、奈良県出身。
1972年舞踏カンパニー「大駱駝艦」を旗揚げ。大仕掛けを用いたスペクタクル性の強い様式を導入。“天賦典式”(この世に生まれたことこそ大いなる才能とする)と名付けたその様式は、国内外で大きな話題となり、「BUTOH」を世界に浸透させる。

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